藤原家の近況写真集


山梨県忍野村にて。達雄じいちゃんと、田鶴子ばあちゃんと。


おやすみなさい  ( 作曲 かずしんさん )


2014年12月31日

2015年の幕開けです!!!
2015年の幕開けです。

 

人類のエゴがもたらす異常気象と、地球の温暖化。

想定外で簡単に片付けられる未知の災害。

水を含む全世界の資源の枯渇と、想定される将来の奪い合い。

熟れた文化と、繁栄だ!と鼓舞する各国首脳の政治家諸氏。

痛みの伴わないアホな政策では、地球の危機を救う術は、ひとつもない。

 

未来に向けて人類の佇まいや知恵の結集が試されているようである。

 

2013年03月31日

新宿・末廣亭 3月31日「余一会」は大盛況
【出演】三遊亭円丈、柳家小ゑん、三遊亭白鳥、ホームラン(漫才)ぬう生。
 
大の月の31日は寄席興行が10日ごとなので「余った1日興行」として、「余一会」と言われますが、今回は珍しく「日曜日」になり、本当に久しぶりに参加しました。
 
新宿末廣亭の余一会が「三遊亭円丈。柳家小ゑん。2人会」です。
 10年前には「想定外」の興行でしたが、やっと創作落語の面白さが浸透してきつつある「兆候」ではないでしょうか?
 
柳家小ゑん師匠が「アキバぞめき(2階ぞめきのパロディ)」と「ふぃ(三遊亭円丈師匠の名作)」の2席。
 
三遊亭円丈師匠が「夢一夜(末期ガン患者の噺。大爆笑の鉄板ネタ)」と「横松和平」の2席でした。
 
両師匠も「完璧な出来映え」でした。これで、両師匠のファンがひとりでも増えてくれるのが、私のささやかな願いでもあります!!!
 
次回は第2会「創作落語の会 にゅ」でお会いしましょう!!
 4月27日の土曜日です。詳細は、下記の「藤原 央士の掲示板」をご覧ください!!

http://8422.teacup.com/fuji0091/bbs

2011年12月25日

岩井半四郎 逝去
20代に、ごく僅かな期間でしたがお世話になった岩井半四郎さんの御通夜に出向いてきました。
師匠との一番の思い出は「師匠と私」が名古屋御園座で「山本富士子特別公演」に出演していた時、CM撮りで公演終了後「京都太秦撮影所」に行かなくてはならなくなり、兄弟子達のごり押しで私が「ご同行」となり公演終了後、新幹線で師匠のお供で京都へ向かいました。師匠との対面は初めてで「緊張MAX」でしたが、師匠自ら 私を食堂車に誘っていただき ウイスキーをご馳走してくださりました。
普段は本当に厳しい師匠でしたが、「深夜」でもあり 私にとっては「至福の時間」でした。

師匠は私が背が高いのを嫌がっていたようで「お前の名前は岩井馬場太郎」だと、まるで「たけし軍団」のようにおっしゃっていたのですが、20代の私は真意が分からず、頑なに拒否していました。今となっては「惜しい」です。継いでいれば、その後継ぐ名前ではないので、「初代」として残ったのになあ・・・(何をガッカリしているのか?)

今日は私の若さとわがままで、潰えた時間と空間が埋まりました。

師匠との貴重な時間は一生忘れる事はないと確信します!!!

これは20代の私の財産なのかも知れません。

木村功。兼八善兼(演出家)。高津住男(劇団の先輩)。岩井半四郎。

影響を受けた先輩諸氏が消滅した事で、自分の世界観に「終止符」が打てたなあ・・・と実感しました・・・

ささやかながら、追悼の意を表して・・・投稿!!!

以下は、WEBのニュースから・・・ご冥福を・・・・

歌舞伎俳優、岩井半四郎(本名・仁科周芳=にしな・ただよし)さんが25日午前0時46分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。84歳だった。端正な顔立ちと大きな目がトレードマークで、戦後は映画やドラマの時代劇でも活躍。しかし、14年前の舞台を最後に病気療養中だった。長女の岩井友見(ゆみ)次女の仁科亜季子(58)ら、芸能界に親族が多いことでも知られた。(サンケイスポーツ)

 大人の風格とともに、粋な趣味人としての一面も兼ね備えた岩井さん。歌舞伎界の重鎮がまた1人、逝ってしまった。

 1927年に日本舞踊の故花柳寿太郎の長男として生まれ、35年に初舞台を踏み、39年に二代目市川笑猿を襲名。明大文学部を卒業後、51年に十代目岩井半四郎を襲名し、源氏物語で若き日の光源氏に扮するなど立ち役で活躍した。その後は敵役、道化役、若衆役など幅広い芸域を持ったが、97年1月、国立劇場の「壇浦兜軍記」が最後の舞台になった。

 日本舞踊・岩井流の宗家でもあるが、映画にも積極的に出演。終戦直後の45年に公開され、平安時代末期の武将、源義経を演じた「虎の尾を踏む男達」(黒澤明監督)で銀幕デビューした。他にも「柳生武芸帳」(57年)、「親鸞 白い道」(87年)や、ドラマ「鬼平犯科帳」(89年)などに出演。60年には「投げ節半四郎」という歌で歌手デビューも飾った。

という記事でした・・・・


2011年10月10日

お伊勢参り。
女房の以前からの希望で、ようやくお伊勢参りが実現しました。名古屋のホテルは「F1レース」の影響で、どこも空いていなかったので、一宮が宿泊地になりましたが、一宮の旧家が多く素敵な街並みでした。伊勢では「レンタルサイクル」での移動だったので、次の日は足がパンパンでした。50歳過ぎてからは、強行日程が強敵かも?翌日の名古屋は在住の「美智代」の案内で、大須を堪能できました。

2011年10月10日

名古屋城(空襲さえなければ)
空襲さえなければ、日本最古の「木造城」ったのが、「飛行機工場」が在ったがために
京都は、空爆されず、名古屋は東京と同等の被害だったそうで・・・意外でした。「よくこんなものを造る時間や財力がありやがったなあ!!」というコメントは未だ揺るぎませんが・・・平民が「泣かされる構図」は 家康ちゃん時代から「普遍」なのかなあ??

2011年03月24日

後方支援!!第1弾!!!「都庁に行ってきました!!!」
新宿都庁第2庁舎に「東日本の被災者」に向けての「支援物資」を届けてきました。
我が家で「プールされていたもの」は石鹸と、お尻拭きティッシュでした。すでに、1Fの受付は大混雑でしたが「自分達の買いだめ、買い漁り」にスーパーに群がる人たちとは、全然違い、落ち着いている印象でした。「これだけの荷物どうやって運んできたのかなあ??」という位「大量のダンボール」を1Fロビーで運んでいる人が多かった事にビックリしました。「場違い」な「自分の家で不要なものを大量に持ち込む人」や、募集していない「物資」を大量に持ち込む人も見かけられ、悲しい気持ちも味わいましたが、まだまだ「庶民の底力」は侮れないと思いました。

東京都知事選挙も「○億円」という単位でお金を消費する訳でありますから、任期延長して、その「無駄な浪費」を廻せないのかねえ???やはり、庶民感覚とは、かなりかけ離れています。私は20歳になってから、「一度も投票拒否」したことがありませんが、今回ばかりは30年以上貫いてきていた「或る意志」を取り崩そうか??・・・と考えています。

その事はここで書き込んでも全く無意味なので、しばらくは、「後方支援」を続けていこうと考えています。私のささやかな「被災者の方々への願い」が届いてくれると、何はさておき嬉しいのですが・・・・・

2011年01月23日

三遊亭円丈師匠の今年の手拭い
今年も、わざわざ郵送していただきました。感謝!!感謝!!です!!!今年のデザインは、「100%洒落」の手拭いだそうです。師匠が「円生」を襲名するのには、私は大反対なので、洒落だと師匠から聞いて嬉しかったです。

反対の主な理由は??・・・問われると???

1.昭和の大名人の後釜は、荷が重い。
2.まだ先代の芸を覚えている「ご老体」が多数いらっしゃる。
3.悪口を絶対言われる。例えば呼び方は間違いなく「足立区の円生」か「出  っ歯の円生」か「グリコの円生」になるので・・
4.「創作落語」の第1人者なのに「創作者 円丈」の名前が消えてしまう。
5.名前にこだわって失敗した例を数多く見てきたので・・・(名前は敢えて  云えませんが・・・苦笑)

師匠には、まだまだ大暴れしてもらいたいです!!!

海老ちゃんも「大名跡」に拘らず精進しなチャイ!!!(苦笑)

2010年12月26日

インコ ピースケと、黄太郎
私がキスしようとしたのですが、2人で「仲良く」やっていて、絡んできてくれません・・・(グスン)

2010年11月17日

妹が「おばあちゃん」に・・・・
由美(妹)の次女が11月15日(七五三の日)に女の子を出産しました。由美も、いよいよ おばあちゃんです・・・50代で「おばあちゃん」は、それはそれで、羨ましく思います。私は、絶対に「おじいちゃん」にはなれませんし・・・(苦笑)

2010年11月07日

久しぶりに じいちゃんと・・・
遅ればせながらの、達雄じいちゃんの誕生日会を、ささやかながら実家で・・・・
久しぶりに 孫との笑顔です・・・??

2010年03月22日

「トリックアート展」
なかなか面白い企画でした。こういうイベントは、自分が参加できるので・・・面白いと思います・・・・

2010年03月08日

小学校 最後の音楽会
最後の音楽会の「指揮者」をやりました。曲名は「ドラゴン・クエスト」私は仕事で観る事ができませんでしたが、キチンとやり遂げたようでした。卒業まで2週間ほど・・・今日のイベントは、奴の胸にどう残ったのか???



トップへ
トップへ
戻る
戻る
次へ
次へ