わたしのプチ演芸史


私を泣かせてください  (作曲 ヘンデル )

私が 落語、漫才、コント、ピン芸、手品などの「 演芸 」 が好きになったのは、
昭和40年代初めでした。テレビには 「 演芸番組 」 が、氾濫し タレ流しのお笑いの
影響で、こんな大人になってしまいました。 1950年代で、世界のギャグは出尽くし、その後
は、すべて それらの焼き直しと言われています。( かなりオーバーですが・・・・)

そのあたりから、私が追いかけた 「 演芸 」 を、順記していこうと思います。

どの方々も大好きな芸人さん達ですが、ページをスムーズに進行したいので
敬称略 と させていただきます。( なお、あくまで私見なので、他意はありません! )

昭和40年頃 やはり 見始めは 10チャンネルの 大正テレビ寄席から・・・・・・
新人漫談家 牧 伸二 の司会による 演芸番組。日曜日 昼のTV番組の定番でした。昼に定着させようという目論見は 「 笑っていいとも 」 が パクッテ 現在に残っています。小学校2年の頃の見始めのため、詳しい記憶はありませんが、おそらくこの番組が最初ではないかと思われます。3人の芸人さんが出演するのですが、出囃子が、アコーデオンだったのを覚えています。これから8年ぐらい この番組を見続けます。何となくですが 1番目の出演者( ハナ )と 3番目の出演者( トリ )の 格の違いを理解できたのも、この番組からなのかと・・・・ただ ガキだったので、芸の質については まったくわかりませんでした。 ここで、得たものは、私の生き方に大きな影を落しています。( オーバーなまま、次へ! )  
大正テレビ寄席 ( 好きな出演者 ) これはハッキリ覚えています。
好きだった芸人

第1位  東京コミックショー  ( スネークショーは、絶品でした。今なら いっこく堂に近い存在かな?キャバレー芸なのに 子供も笑える芸でした。 )

第2位  ナンセンストリオ  忍者ネタより、どっちもどっちも・・・のネタの方が好きでした。今なら 丁半は、教育上の問題でダメなのかねえ?( これを教えないから、自己破産に逃げるアホが後を絶たないんだって!) 写真は、メンバーの前田 燐 (りん)

第3位  榎本晴夫、志賀晶 おそらく このコンビを私と同世代で覚えている人は皆無でしょう。私もコントをしている姿しか記憶にありません。「 なんで こんなに仲が悪いのに、コントができるのか? 」 と思うぐらい、悪態をついていました。( コント55号なんかは、あくまで舞台の上という 括り が 感じられたけれど・・・・・) ずっと、待ち焦がれていたのだけれど、その後 見た記憶がありません。投げっぱなしの 冷たい会話が、好きでした。
大正テレビ寄席 嫌いだった出演者 ( これもハッキリ覚えています。芸の深みを知らない頃の事ですので・・・・・今となっては 良い思い出なのですが・・・))
第1位  小島宏之とダイナ・ブラザース。 ( 出て来ると 何故か悲しくなった。スイマセン!)

第2位  灘康次とモダンカンカン。 ( 客が引いていたのを、 何となく理解できた。あきれたぼういずを知っている観客にとっては、もの足りなかったかも?・・・・・これまたスイマセン! )

第3位  新山ノリロー・トリロー。仲の悪い見本のようなコンビだった。見ていて 陰湿な喧嘩を 舞台の上で わざと見せているようで とにかく不快になった。前出の榎本・志賀 ご両人とは、「 仲の悪さ 」の演出方法が 全く正反対の様に感じられたが、これも小学生の頃の記憶なので・・・・( 今となっては、較べようもないけど・・・・・きっと続かない!・・・と子供心に感じた) コンビ解消してしまって、惜しくなったコンビでもある。いま、続けていたら、ロンブーや、とんねるずが存続してるんだから・・・・ ビジネスライクと割り切れる 頭の良いコンビとして生き残っていたかもしれない。 今は、方向性の違いで、コンビ解消は、常套手段だが、あの当時は、お笑いの地位が低く 別々では喰えない背景があったから、本人達は その分 生き残りに必死だったと思う。だから当然 芸の質も高かったんだろうなあ・・・・でも 嫌いな出演者でした。しつこいようですが、嫌いな芸人さんは、書いていません!あくまで、あの当時嫌いだった 出演者です。(10代のわ・た・し・が・ですよ!しつこいですよ!私は)
コメディーは、やはり てなもんや三度笠 から・・・・・
視聴率50%を越えた事もある おばけ番組。私が記述しなくても語り尽くされた感があるので・・・・発売されているVHSは プロデユーサーの澤田 隆治の所有していたものだが、どれもおもしろくない。売れる前の やすし・きよしも出演しているが、これもいただけない。ただ、あの当時 「 俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」 というフレーズを知らない人は、居なかった。( もちろん、TV放映されてない地域の方々は、知らないけれど・・・・)前説コントの様な形で、原 哲男がでていたのが印象的であった。( 誰カバ のモデルです・・・・)昔の芸人さんは、一発には強かった。( 公開録画、一発撮りの時もあり・・・)多少完成されてなくても、売れさえすれば・・・という 現在のタレントのような 「 強引さ 」がなくて、サラツとしていて、「 もう少し やってくれれば・・・・」 という 私たちの欲求を ことごとく 裏切ってくれました。これこそ、本当のサービス精神なんですがねえ・・・・・・・( ただ単に シャイだったのかも・・・・それはそれで、素敵です!)
日曜日の夕方は、日本TVの天下!おばけ番組。「 しゃぼん玉ホリデー」
コントのオチになる時、植木 等は タップリ 間をとっていたが、新人だった なべおさみ や 小松 政夫は、間をとらせてもらえなかった。子供ごころながら、「 ここで、ゆっくりしゃべれば、おもしろいのに・・・・・」 この当時から、自分の「 間合い 」に引っ張り込む芸人は、コント赤信号の なべちゃん( 渡辺 正行 ) まで、秀逸なものは出てこない。( どれも 間が短すぎるんだって・・・・・)客が、驚くほどの 間合いは、もはやTVでは、存在しない。おもしろいのにねえ・・・・
小学校3年生。Wけんじは、ギャグ漫才の「はしり」でした!
チック・タックは、短命だった。(芸もだが、チックさんは確か42歳で死去だったか・・・・)Wけんじさんは、私の好きな 「 間合い 」 の 芸風だった。だから、晩年まで、(東けんじさんが、亡くなるまで )TOPでいられた。一時期、すごく つまらなくなった時期があるが、ここを通過しない漫才コンビは、逆に臆病者である。通過して、今があるコンビは、中田カウス・ボタンと、オール阪神・巨人。などなど・・・・・存続してなればこその 芸なのだ。三球、照代さんのように、「死別 」 となると、尚更 惜しくなる 芸 なのだ。
漫才が怖くなり、逃げたのは、( 個人名だが、・・・・島田紳助。西川きよし。古くは コロンビア トップ。未だに 漫才を 語る己の姿を恥じよ!)など、他にも、山ほどいる。 やめた奴は、その世界を 語ってはならぬ! ( この基本が 大きく崩れてる・・・って事を 感じる。・・・・それならば、敢えて 語ってほしい!「 漫才とは・・・」 この世界をもの知り顔で、語る片割れ君達!) Wけんじは、東けんじが居なくなった段階で、消滅して当然だし・・・・まあいいかあ?私も「 足を洗った輩 」 だから、大きなことは言えないが、やめた人間だから、見える事も大きい・・・などと、ほざけば、「 売れてから、ほざけ!」と、逆ギレされる世界だ。
今続けている コンビに、敬意を表して ! まさとさん、洋七さん、それでいいんです!
 
 
昭和の漫才。爆笑王は、私的には、やはり ダイラケ。
このコンビの漫才の おもしろさが分かったのは、初めて見てから( 10歳ごろ ) 7,8年たってからだと思う。今 録音したテープを聴いてみても、現代の漫才のテンポより、さらに早いかも知れない。ラケットさん( 右側、弟 )が、兄のボケに吹いてしまうシーンが、必ずあり、そこから、客を一気に 引き込んでいくテクニックは、今聴いても 素晴らしい。わたしは、昭和( 戦後 )の漫才の双璧は、ダイマル・ラケット と いとし・こいしだと思う。やすし・きよしは、3位だなあ。( 絶頂期のWヤングも 続いていれば ・・・・一世を風靡した、チック・タックや、はんじ・けんじも・・・ああ3位以下は、横一列かなあ・・・・) これについては、別のページで!(いつに、なるやら・・・・) 横山やすしも、この師匠たちは 「別格!」だと断言していた!
ヤング!OH !OH !から、人気漫才師が・・・・
中学1年の頃、大阪発の、人気番組が東京のお笑いを 圧倒する。仁鶴、三枝、可朝、やすし・きよしの 後に出て来たのが 中田カウス・ボタン と コメディNO1だ。とにかく、カウス・ボタンに関しては、どこにいっても 女の子の「 キャーキャー声 」 に 邪魔されて まともに漫才が出来ない状態だったらしい・・・・( カウス談 ) その点、コメディーNO1の方は 飛ぶ声援は、ガキどもの 「 アホー・アホー」ばかり・・・・ネタはやらせてもらってた。絶対、コメナンのほうが、うまくなると 確信していたが、現在は・・・・・・( ハッキリ言って 言いにくい!が・・・あくまで、私見だし、好みの問題という事で・・・・) 漫才のテクニックにおいて、カウス・ボタンのほうが、数段 上だと思うけど・・・・2組とも、よくぞ、続けていてくれる! 漫才は、別れたら オシマイ! そう考えると、漫才 って、郷愁を誘う 芸? まさかねえ?
( ここのあたりは、談志師匠と、全く同じ意見。やすきよ を超えていた時期が Wヤング には確かにあった!) 死別で、漫才をとうとう断念した三球 も偉いねえ・・・( やはり 談志師匠だけは、呼び捨てに出来ない・・・・・他にも 何人か居るけど) 仲が悪かろうが、とにかく続けていてほしい!叶姉妹のように・・・・・( たとえが、間違ってまっせ、ひろっさん! ) 
 
桂 三枝師匠の、目標でもあった、西条 凡児。
嫁ぐ娘と、父親が出て来て、今日までの生い立ちを語る・・・・という内容だったと思う。こう書くと 小学生には、かなりハードな内容のように感じられるが、何故か 素直に見ることができた。( 親が、見ていたからなのか・・・・・) 親子が、帰るとき 西条 凡児が 「 はい、お土産、お土産! 」 と言うと 暖簾をくぐって お茶児が、お土産を持って来る・・・・・と言う お決まりの ラストシーンだけは、印象的で、覚えています。柔らかい 独特の関西弁が、番組全体を 柔らかく仕上げていたんだと思います。今見ると、着物の雰囲気も、いいですねえ・・・・容姿は、理知的ですねえ・・・・
小学校3年生。トリオ(漫才)ブームの波が・・・・
とにかく、もの凄いブームでした。大人にも受けていたのかは、疑問ですが・・・漫才に、一人足した感は否めず、誰か 一人は、ボー と 立っているパターンが、ほとんどでした。
好きだった順に列記してみます。

1・ ナンセンス・トリオ
2・ ギャグ・メッセンジャーズ
3・ トリオ・スカイライン
4・ トリオ・ザ・パンチ
5・ てんぷくトリオ

以上がBEST 5です・・・あとは、コンビ名も、あやしいですが・・・・
6・ じん弘と スリーポインツ
7. ミュージカル・ぼういず

関西には、三人奴。宮川左近ショー。かしまし娘。ちゃっきり娘。など居ましたが、追っかけていないので、関西に関しては、省きます。( 4人だと、チャンバラトリオも・・・・・)

漫画トリオも、リアルタイムで、観ていますが、好きじゃなかったですねえ・・・・
大人には、受けていたんでしょうねえ・・・・・( 写真は、てんぷくトリオの 伊東 四朗)
昭和を代表する喜劇役者。由利 徹。
一度だけ、お会いした事がありますが、( 新宿コマ劇場の稽古場で ) とにかく 喜劇役者の 独特の匂いがするんです。感服いたしました。佐山 俊二さんとは、一緒の舞台に立たせていただきましたが・・・・由利、佐山の、コント。「 山崎街道 」 は、絶品でした。由利は、浅草を否定して、新宿ムーランの方が、「 格が上 」と言っていましたが、私には、分かりません。
ただ、素晴らしい芸の持ち主だったのは、間違いありません。喜劇役者のバイ・プレーヤーでの、昭和の第1位は、文句なく、由利 徹でしょうねえ・・・・( あくまで、括りは、喜劇役者の括りですが・・・・) 今 喜劇役者・・・って存在するのかねえ?( まあ、どうでも良い事なのかな? )
夫婦(めおと)漫才に、きらいなコンビなし!
私が知らないコンビは除いて、夫婦( めおと )漫才は、どれも好きである。理由がうまく説明できないが・・・・・大阪の 素人のおもろい夫婦の延長線上に ( いや!頂点に ) 夫婦漫才が在る ってことかな? 日常会話が、基本の漫才において、会話にリアリティがあるので・・・( そんな気がするだけなのかも知れないが・・・・) 写真の 蝶々・雄二も、今テープで聴いてもテンポがあって おもしろい。敏江・玲児。大助・花子。一時期のような勢いは感じられないけれど、漫才の安定性は高い と思う。離婚してからも続けているが、「 夫婦漫才 」 と 括っていいと思います。( 元 夫婦は、夫婦漫才でいいでしょう ) 東京は、系譜がなく、第1人者である三球・照代のあと、遊平・かほり。少し淋しい気がしますが・・・・頑張ってほしい!( でも私はファンです。今は、大助、花子より、面白いと思う!) 東京漫才は、会話自体が よそよそしいので、漫才自体が育たない原因だけど・・・・他人コンビなんだけど、順子・ひろしなんかは、私の頭の中では、「 夫婦漫才 」 です。人生幸朗・生恵幸子のような、男性ボケのコンビは、もう出ないのでしょうか? ただ最近 客が、夫婦漫才を求めてない・・・と言う雰囲気は感じるね。元 夫婦の罵り合いの方が、はるかにリアリティあるもんなあ・・・・( TVに出て罵り合う 素人、いい気分は、しないけど、とにかくリアルだよなあ ) 形を変えた 「 夫婦漫才 」 に期待します。
大好きな 「 ヘタウマ手品 」 ( 写真は、ゼンジー北京 )
最近、TVで見かける テーブル・マジック。その手さばき、しゃべりともに 文句ないマジシャンが、実に増えた。昔と較べると、技術的にも、格段の進歩である。( いっこく堂の腹話術と、婦人警官が、片手間にやる腹話術ぐらいの差があるかも・・・・例えが、下手だけど・・・・)でも 私は、ヘタウマ系の手品が 好きである。アダチ竜光。伊藤一葉。ゼンジー北京。 などの、ヘタなのか、うまいのか、分からないマジック ( 寄席の手品 ) が好きだった。現在でも、マギー司郎、審司。花島 世津子。ナポレオンズ。など、好きである。( ナポレオンズの場合、ウマウマでもあるので、くくりが、微妙だが・・・・)
きっと目を凝らして、何とか ネタを見破ってやろう!・・・・と思うより、手品という芸を、ボンヤリと見たいんだろうなあ。寄席で、2つ、3つ 軽くサラッとやって、スッと引っ込んでゆくのを見ると、「 なんて 粋なんだろう 」 と感心してしまう。まあ、手品に関しては、この程度の思い入れかな? 
ブラック・ジョークの宝庫だった。笑点。今は、ハッキリ言って ナマクラだね!
談志師匠と、毒蝮三太夫の激しい 
罵りあいが 好きでした。( どんなガキ・・・?)
あの当時は、まだ、歌が流れていました。
歌詞は、こんなものだったと・・・・

【現在も流れているテーマソングの歌詞】 
 (作詞・前田武彦 作曲・中村八大)

ゲラゲラ笑って見るテレビ
ドキドキしながら見るテレビ
メソメソ涙で見るテレビ
いろんなテレビがあるけれど
同じ見るなら笑わにゃ ソンソン
笑う点ならそのものズバリ
それはご存じそれはご存じ 笑点だよ

ゴロゴロしながら見るテレビ
ハラハラしながら見るテレビ
イライラ怒って見るテレビ
いろんなテレビがあるけれど
同じ見るなら笑わにゃ ソンソン
笑うポイントそのものズバリ
それは天下のそれは天下の 笑点だよ 
パフッ! 
( 写真は、そのレコーディング風景 )
左から、円楽、こん平、毒蝮、談志、小痴楽、歌丸、小円遊
浅草軽演劇。大好きだった 大宮敏光 ( デン助 劇場 ) 写真は デン助人形。
小学校高学年、土曜日。学校が終わると、家に走って帰った。「 デン助劇場 」 を見るためだ。いかにも浅草軽演劇と言う感じの劇場中継だか、録画で、( 確か 10チャンネルだったかと?・・・) 当時 白黒テレビだったので、デンさんが動くと、手動のピンスポが、デンさんのはげ頭に もろに当たり、ハレーションを起こして 顔が真っ白になったりしていました。音楽も陳腐でしたが、デンさん( デン助、演じていたのは、大宮 敏光。改名前は、大宮敏充 )の江戸っ子気質の台詞まわしが、ガキの私にも 心地よく、大好きでした。最後は、登場人物が全員ニコニコした中で、ゆっくり緞帳が降りる・・・と言う お決まりで、毎回 それなりに満足していました。番組の最後で、お客さんの中から 一人舞台に上がってもらい、今日のお芝居の感想などを話してもらい、ホンモノのデンさんみたいに、首を振る 「 デン助人形 」 を 渡すのが、エンディングでした。正直言って、「 あんなもの、いらねえやあ! 」 と あの当時は思っていましたが、今見ると、欲しいなあ!( タダでくれ!なべ やかん! )


トップへ
トップへ
戻る
戻る
次へ
次へ